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なんでも最近、会社に行く服のことで中年が悩んでいるらしい。
というのも、このところ、金曜はカジュアルな服で来るようにとのお達しが出され始めているからだ。カジュアルと言われても、普通の中年にはちょっと判断がつきにくいだろう。いきなりジャージで行くわけにもいかないし、かといって若いもんのようにビンビンにきめる能力があるとも思えない。結局、金曜はゴルフファッションに身を包み、日曜になるとそのまんまの格好でゴルフに行くといったことに落ち着く。それならば、ここはひとつ中年修業を自らに課した僕が、その金曜のカジュアルを提唱するその人に話を間いてくるしかあるまい。そう考えた犠牲の羊は、東京に春が訪れたある日の午後、青山にある石津謙介さんのオフィスに足を運んだのであった。
現れた石津さんに向かって、早速中年たちの悩みを打ち明けてみる。
「あの、金曜のカジュアルと言っても、いざとなると何を着ればいいか、おじさんたちはわからないと思うんです。もう若くないわけですし」
すると、石津さんは一体何を言うのかといった調子で答えた。
「僕はね、そういう風に年によって何を着るかなんて考えること自体、古いと思うの 。その人の生活や人生観が大事なだけでね、何を着ようがかまわない」
僕はとまどった。ファッション界をリードした石津謙介であればTPO(これもまた石津さんの造語だ)に応じた大人のカジュアルについて様々な決まりを提示してくれると思っていたからだ。「世の中が流動的になったでしょう。それにつれて、何を着なくちゃいけないかなんてこともボーダレスになった。若い人をご覧なさい。その服はおかしいなんて周りに言われたって関係ない」「ああ、そうですね」確かに、バブル崩壊以後の若者のファッションは、かつてのように周囲すべてを気にするような流れにはなく、かっこいいこととダサイことの境をあえて取り払うことに主眼を置く。「そうそう、かっこいいという基準、スタンダードはもうないんですよ」そう言い切る石津さんの柔軟さに、正直僕は舌を巻いた。その言葉は、まさに90年代の核心をついているのだし、ここ数年、いわば最先端の感覚であり続けているからだ。石津さんはさらに言った。「昔ならね、異性に向けて服を着ていた。でも、近ごろは違うでしょう?自分向けなんですよ。メーカーが服を作って流行を左右していた時代も終わって、なるべく流れにないものを着るのが今です」
「そう、その通りです。だけど、中年はいまだに流行があると思っている。だから迷うわけですよね。何を着れば時代に合っているのかとか、笑われないのかとか」
そう言うと、石津さんはまるで中年にものを指南する 若者みたいな顔をして、きっばりと答えた。
「暗示にかかってるんですよ。自分が人後に落ちるのではないか、と」これは格言みたいなインパクトで僕の胞に讐いた。もはや〃人後に落ちる〃などという考え自体が時代に合わない、と石津さんは喝破しておられるのだ。もっと自由に、もっと自分勝手に、もっと楽チンにいきましょうよ。金曜のカジュアルはそんな哲学をバックボーンにし、だからこそ、〃何を着れば自分がよく見えるか〃などという迷いをふっきって存在しているのだった。
「…じゃ、何を着てもいいわけですか?」
「そうですよ、気に入ったものを着ればいい。
既製緩和服と私は呼んでいます。既製のものはもういい。
しかも、それをね、着回すんです」
「着回す?」
そこからが、石津さんのファッション専門家としての意見だった。
「上下を合わせて買わなくていい。今まで持っていた上や下を、他のものと組み合わせてバ リエーションを作る。なんでも新しく買うなんて発想をやめて、賢い生活を送らない と。今ね、中年がようやくそのことに気づき始めたと思ったんです」
それは同時にメー カーが、上下どちらでも多彩に作り、売ることにもつながる。ファッション界の活性 化をも石津さんは図っていたのだ。
「例えば、あなたの着てるブレザーね」
石津さんの鋭い目が、僕の着ていた服に向けられた。石津さんに敬意を表するつもりもあって 、その日僕はVANのブレザーを着ていた。
だが、僕は恥ずかしくて仕方なかった。それはあまり高いものではなかったのだ。つまり、僕もまたバブル以前の感覚を持って いたわけだ。
「このブレザーならいつでも着られるでしよう。下にチノをはけば礼服にもなる。これは金ボタンだからスポーツ観戦機戦にもいい。下次第でどうにでも着回せる」
新しい感覚に身をひたした石津さんは僕の赤面など意に介さず、ブレザーひとつを見て ズバズバとアドバイスを続ける。
「あのね、女の服はエレガンスだセクシーだと色々ありますけど、男の服は基本的に社会のシーンに対応して作られてきたんです。ポタンひとつにも意味がある」「ええ…・だから、難しいことになるんじゃありませんか?」「いや、違いますよ。だから、あれこれ考えずに着られるんです」
なるほど、男の服はある意味でバリエーションがないからこそ、逆に着回すことの範囲が広がる。むしろ、僕たちは色々と余計なことを気にすることなく、堂々と好きな物を着ていればいいのである。
「そもそも、もう洋服と呼ばないでいいんじゃないですか?日本服と言えるくらいに、僕たちは長く洋服を着てきた。僕らの着方をすればいいんですよ」
こうして、大家石津謙介のお墨付きを得た以上、中年諸氏はもはや悩む必要がない。
さあ、誰に眉をひそめられようとも、好きな物を勝手に着られるがいい・・・。
「自由時間」 1996 6.20号 マガジンハウス
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